忍者ブログ

≪ 前の記事

次の記事 ≫

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

comments

第12回文学フリマお疲れ様でした

 編集作業だなae5eabc2.JPGんだと忙しすぎて、此方のblogの方でぜんぜん告知できませんでしたが、無事に『Kulturtrieb-G』Vol.2完成してます。文学フリマ当日はお陰様で、好評です。そして、今更ながらに内容紹介。

なんかタイムリーなことに、今日の昼に『メリーポピンズ』がBSで放送されていたとか。まぁ、それはそうと、今回は「アニメーションというスーパーカリフラジリスティックエクスピアリドーシャスなメディア」を特集に掲げ、過去の作品や、アニメーションだからできること、みたいな部分に焦点を当てた、少しハードコアなアニメ評論を行っております。ゼロ年代的なアニメ批評にノれない諸兄に捧ぐ。






○特集考

・鈴木真吾「アニメーションの批評について――ビジネス、サウンド、『メリーポピンズ』」
アニメーションに限らず、映像作品の批評で見落とされやすいビジネスあるいは産業的側面と、「音」に関する着目を促しながら、初期ディズニー作品の系譜を少したどり、なぜ『メリーポピンズ』が重要なのかをざっと概説+特集論考の解説と、今後のアニメーション批評をやるうえで、出来る限り読んでおくと良いなという文献一覧など。

人形アニメーションにおける、物質性と震えを落とした分、かなり密度が濃くなってます。

・足立加勇「亡霊は蘇る」
憲法第九条の全文をテレビで放映したことでも名高い、『サイボーグ009』の初アニメシリーズ(1968)の「太平洋の亡霊」を扱った論考。一般的には、明確な反戦エピソードと考えらやすい同話の上映会で、学生たちは反戦ではなく父子の愛を感じ取った! そして、幾つかの資料を照らし合わせると、流産で息子を失った監督
の苦悩が表象される!

・砂澤雄一「『未来少年コナン』と『残された人々』」
NHK初のセルアニメーション番組『未来少年コナン』は、宮崎駿の初監督作品として知られている。『コナン』とその原作である、アレクザンダー・ケイの児童SF『残された人々』を比較し、原作に対する宮崎の証言を辿りながら演出・表現・翻案における宮崎スタイルの原点と、マンガ版『ナウシカ』の完結以降に生じた宮崎の苦悩をあぶり出す。

・よこたたかお『「放浪息子」から見るパフォーマンス――異性装から見る演劇批評の新しい可能性について』
『放浪息子』のアニメ版を切り口に、異性装とパフォーマンスに関する議論を展開しながら、マンガ版第6巻に登場する「倒錯劇」について、自身で劇作や演出を行い現場での演劇実践を行う執筆者による、ひと味違った『放浪息子』論。

同論で指摘された点を手掛かりに、改めてアニメ版における「異性装」の表象を捉え直すことを勧めたい。また、執筆者自身はジェンダー論を学んでいるわけではないが、文中における議論はバトラーのパフォーマティヴィティに近い部分に肉薄しているので、それらに興味のる方にもぜひオススメしたい。

・加藤けんた「これからの『正義』の味方の話をしよう――傷つくという目の前の現実と向き合うために」
3・11の大震災以降、作品が内包する意味が大きく変貌してしまったアニメは数多い。ある人は『ポニョ』、またある人は『東京マグニチュード8.0』をあげるかもしれないが、同論で扱われるのは、阪神大震災の記憶と向き合うために制作された、教育的な要素の強い長編アニメーションとして制作された『地球の動いた日』、そして9・11テロの影響で、それまで無邪気に信じてきた「正義」や「ヒーロー」という前提に懐疑の念が指し込まれた時代に制作された『出撃! マシンロボレスキュー』である。

同論では、バトラーの「メランコリー」に関する議論を下地に、災害や報道に対して我々はどのような痛みを受け止め、どのように辛い記憶と向き合えるかについて、3・11以降の報道に対する批判が展開される。

この他、『ana7ecf9abf.JPGn』の2011年3月30日号に掲載された「院生男子」が狙い目という、色々とアレな企画の中で、都合良く描かれた院生男子姿にぶち切れた現役院生男子たちによる、「実録院生男子企画」(現役院生男子による、院生生活のエッセー、ネットアンケート、元ライターによる院生男子の印象調査リポート、元理系・現文系の院生男子による、院生マンガ『京大M1物語』論など)も第2特集として収録!







そして、Vol.1で骨格標本エセーを寄稿頂いたヒキムスビと、表紙・裏表紙そして今回のエセーに挿絵を書き下ろして頂いた横田沙夜のコラボレーション、剥製エセー「リボンをほどかれたネクロノミコン」を収録。今回は色々と濃いです。密度が濃いです。絵も豪華です。


そして267d0366.JPGそして11月の文学フリマに合わせて動き出してるVol.3は「メンズリブ×マゾヒズム――父権制倒錯からの解放、あるいは緩やかな下降願望との戯れ(仮)」。戦略、あるいは観念としての「男性のマゾヒズム」について、色々と掻き集めます。「ドS」だとか「ドM」だとか、したり顔で発話する連中に灰皿を投げつけ、「キミはサドを、マゾッホを、そして近松秋江や谷崎や沼正三や遠藤周作や天野哲夫や倉橋由美子を読んだのか!? フロイトを、ヘレーネ・ドイチュをテオドール・ライクを、ドゥルーズを、西成彦を、ジョン・ノイズを読んだのか!」と問いつめたくなるような衝動に駆られる諸兄・諸姉は、ぜひとも御期待下さい。

第11回の模様は此方。一個前のエントリでも書いたのですが、旧blogにログインできなくなったので、新しいblogを作ったら、今度はそっちにログインできなくなり、何故か旧の方にログインさせられるので、当面は此方を使っていきます。





PR

0 comments

Comment